鉄オタだけどあえてローカル線廃止論を唱えてみる
子供のころから地図とか時刻表を眺めているのが好きでした。
ここ、行ってみたいなぁとか、ここからここまでそのうち「電車」が走るのかぁなどと夢を膨らませていました。
それから数十年後の今、多くの路線が廃止され、さらにまた多くの路線が廃止されようとする動きになっています。
趣味人としては廃止することはまかりならんと思ってしまうんですが、冷静に考えてみると鉄道の廃止はやむを得ないとも思えてきます。
車で遠出する趣味もあるし、最近では利便性もあって遠距離を鉄道で移動するのは仕事で必要になった時くらい(時間が読めるっていうのはそういう場合とっても大事)なので、鉄オタの風上にも置けないようなやつなんですが、実際、東京近郊を離れると鉄道って必要性が無いんじゃないかと思えてくるんですよね。
自家用車があればすべて事足りてしまう。遠くに行くときもまずは自家用車で大きな町に行ってそこから鉄道なり高速バスなり飛行機なりに乗れば行けてしまう。
自家用車さえあれば東京郊外の俺のうちみたいなところに比べても利便性が高い生活が遅れてしまう。
日本はそういう国に成長してしまいました。
それによって、決まった時間に大量の人間を運ぶという特性のある鉄道輸送っていうのはニーズに合わなくなってしまった、というかほかの選択肢ができてしまったというのが現状です。
交通弱者のことを考えろというご意見ももちろんあると思います。
しかし、そういう交通弱者から高い料金を取るということもまたできないはずです。
公共事業として税金を使って交通機関を維持するという考え方になればまた別なのですが、そういう税金の使い方を住民が許すのか許さないのかというのはなかなか難しい話になるのではなかろうかと思います。受益者とそうでない人の比率を考えると、どうしてもそうでない人の方が多くて、そういう人たちが自分たちにはまったくメリットがない公共交通機関に自分たちが払った税金を使うことをよしとするかというと……難しいですよね。
まずは貨物輸送で鉄道はほぼ競争力を失い、その後旅客輸送でも競争力を失ってしまった。そういう流れになっているだけ。
バスなら路線を廃止するだけですが鉄道の場合は設備も廃止になるのでノスタルジックな気持ちになるから余計に廃止論には反射的に反対したくなるという気持ちはよくわかるし俺だって同じ気持ちです。
しかし、理屈で考えるとかなり厳しい……。
おそらく、需要として残るのはまだ免許を持っていない世代を同じ時刻に大量に運ぶ通学と、逆に車を運転しなくなった高齢者やいろいろな事情で運転ができない人のための移動手段でしょう。
前者はバス、後者はタクシーなどの中量少量輸送機関によって代替せざるを得ないでしょう。
今でもそういう代替手段が用意できないところでは鉄道を残していますよね。
それともう一つは、ネットワークとして必要な路線は今後も残るでしょう。
例えば日本海縦貫線。
まだ競争力が残っていて有利な面も多い高速大量貨物輸送の動脈として機能している路線を乗客が少ないからと言って分断できるかというとそんなことはできないでしょう。
これもまたあれな話でいろいろいいたくなっちゃいますけど、自動車輸送から鉄道輸送にシフトするべきだみたいな議論もあるこのご時世で、乗客が減ったから廃止というわけにはいかない。
たとえば函館から木古内までの路線はどうしても残さざるを得ないわけで……
逆にそうでない路線が廃止されるのはやむを得ないかなと理性では思っています。そして、今回JR西日本が、線区ごとではなく区間ごとにリストを出したのは非常に理にかなっているとも思います。
上の例で出した函館木古内間は、路線の戸籍上江差線ということだったんですけど、木古内で松前線に分岐していて、その松前線の方はすぐに廃止になっています。
その理由は路線の名前単位で収支を計算していたから。
もしも区間単位で計算していたら松前線が廃止になったタイミングで木古内江差間も同時に廃止されていたかもしれません。
ターミナルに近い区間がどの路線に属するかによって末端の運命も決まるという今思えばあまり理屈に合わないやり方でした。
それに比べれば区間ごとの収支で決めるというのは対応もしやすいですしわかりやすいなと思います。
日本における鉄道の強みは、大量輸送と長距離高速輸送です。特に大量輸送では競争相手は同じ鉄道です。長距離高速輸送は距離によって高速バスと航空機という競争相手がいますが、常軌を逸する定時性を確保することで競争力を維持しています。
輸送手段それぞれがそれぞれの得意な分野で活躍するというのが健全な社会なんじゃないかなと理性ではそう思います。
感情的には廃止絶対反対!w