「平成」は等質化の時代
テレビとかでも平成を振り返る系がすごく多いです。俺はちょうど平成に入った頃、つまりバブル経済の頃社会に出て、偶然最初についた職業が向いてたみたいで今でもその仕事はしてますが(寄り道も今にして思えばおもしろくて勉強になったけど)、こうなってみてこの時代を振り返ると「等質化」というのがキーワードなのかなぁと思います。
よく言われる格差拡大っていうのはイマイチぴんときませんね。
格差拡大という印象を持っている人はおそらく拡大じゃなくて固定化のことを言ってるんじゃないかなと思いますね。
給料が上がる見込みがない→いつまでもこのまま
ってことなんじゃないかなぁと。
実際にはものすごく確率は低いけれど能力と運を兼ね備えた人なら一発大逆転もあり得るのが今の時代だと俺は感じています。俺だってもしかしたら(笑)
平成の世の中、日本は本当に豊かになったと思います。
先日職場で笑われたのですが、昭和末期の東京でリアル「三丁目の夕日」な貧乏暮らしをしていたということがわかり(自分ではそれが当たり前のことでした)、そこから考えるとよくもまぁここまで成り上がったものだなぁと。
テレビが買えない時代、カラーテレビが買えない時代、足を伸ばして眠れるスペースがない時代、車が無い時代、クーラーが無い時代、そんな昭和から考えると今の生活は快適この上ないです。
それほど成功したわけではない、むしろ失敗している自分でもこうなんですよね。
さらに、年に数回ドライブに行くと強く感じるのですが、高速道路やバイパスを走るとどこに行っても同じような風景が広がって面白くないんですよ。大きなショッピングモールがあって、ロードサイドの飲食店があって…。それに飽きていわゆる旧道的なところを走るとようやくその地域性が見えてきたりするのでそっちを好んで走ったりもしますがその方がより時間はかかります。
もちろんそうはなっていないところもありますが(北海道はすごかった)全体としてみると本当に等質化が進んでいるなぁと。
さらにその等質化を進めたのがコンピュータネットワークの普及でしょう。
社会に出てコンピュータを扱う仕事をし始めて数年経ったとき、とある外資のIT企業で初めてインターネットに触れたときの衝撃は今でも忘れられません。
回線さえつながっていれば世界中のどこにいても同じくネットワークにつながっている世界中の情報が手に入るというのはとても不思議な体験でした。
そしてそれをさらに使いやすくするWebの世界。人生を踏み誤るほどの衝撃を受けましたねぇ。
少し専門的になりますがここにも等質化を強く感じています。社会に出た頃はプログラムを作ってもメーカーごと機種ごとに大きく、あるいは微妙に違う点があって苦労したのですが、Webをインターフェースにしたアプリならそういう心配がなかったんですよ。ところがスマホ時代になって逆にそういう心配をまたしなきゃいけなくなったてのは明らかに退化だなぁと思ったりしています。
それはさておき。
Webは一般的な人の生活にも大きな影響を与えました。回線も速くなり画像や動画もさくさく閲覧できるようになり(今の人たちはインターレース表示とか言ってもわからんだろうね)、決済のサービスも提供されるようになると、どこにいても物を手に入れられるようになりました。
前に日記の方に書いたけど東京近郊に住んでる俺は非常に贅沢な生活サービスを受けていて、大概のものは実店舗でものを手にとって選べるのですが、それに近いサービスがどこに住んでいても受けられるようになったわけです。
その背景として、実は高速道路網の整備があると思っています。ネット環境だけではなく物流網の整備がそれを可能にしたという側面はあると思っています。今は疲弊が伝えられていますが、日本全国ラストワンマイルまで配送するインフラがあって初めてネット通販って成り立つんですよね。
これもまた別の話ですが俺が言う「東京商人」はそこを押さえた、あるいは押さえるのに腐心しているのは決して偶然ではないなぁとも思っています。
それらの要因によって極度に等質化されたのが平成の日本だったのではないかと感じています。
次の時代、その等質化がさらに進んでいくのか、もしそうだとした場合には質が下がっていく方向になるのか上がっていく方向になるのか。
そういうところを見極めてそれに適したビジネスを立ち上げることができれば一発大逆転もできるのかなぁなどと今になっても思っている夢見がちな中高年です。