狭隘区間を通るバスが道を間違えるとどうなるか俺は知っている。
誰もが想像できるでしょう。でもリアルで見るとかなり衝撃的。
立ち往生します。
この記事の1発目に出てる都バス「王41」と「王45」。実際に通勤で利用していました。もうかれこれ30年近く前です。
こんなところの現場なんて特定されるだろうから書いちゃいけない話だろうとは思うけどもう時効だろうね、さすがに。
まだ社会に出て2年か3年で、ようやく後輩を指導するようなこともし始めていましたが、当時は全くそうは思ってなかったけれどデスマーチでした。端末台数が足りなくて夜勤したりね。出勤時刻もぼろぼろになるし、そのうち自家用車通勤始めたりもう勤怠ぼろぼろ。それも時効ですね。
最初のうちは王子まで行ってバスに乗っていましたが(王41)、そのうち当時は足立区役所前という北千住駅から5分くらい歩くバス停からここまでバスが出ていることを知り(王45)それに切り替えて、さらに自分の車で…って流れでしたね。
そういえばインターネットという言葉に触れたのはここの現場にいたときでした。一つはJWAVE朝のジョンカビラさんの番組で特集され、さらにデスマーチのつなぎですっごくのどかなプロジェクトがあって、そのときのリーダーがUNIXやってた人でインターネットの知識があって勉強会をしたとか。当時LINUXってなかったか仮にあってもビジネスで使うなんて誰も思ってませんでしたから。
そんな思い出話を書くところじゃなかった。
えっとなんだっけ、そうだそうだ、狭隘区間を通るバスが道を間違えるとどうなるかだった。
この記事で紹介されているのは北区内の狭隘区間です。確かに笑っちゃうくらい狭かったです。東京で大雪が降ったときは「出て行ったバスが1台も戻ってこない状態でーす」という悲しいアナウンスが流れたりしてましたがただでさえ狭いところで走りづらくなってさらに新田橋の購買があったりしたらどうにもならないよねと思いましたよ。
でも俺が道を間違えたバスはそこで見たわけじゃありません。
新田三丁目の交差点で見ました。
俺の記憶では当時の新田三丁目は「路線バスのみ右折可」っていう謎な交通規制がしかれていました。
引用記事にある狭隘区間を抜けた先です。
今はその先に東西に走る立派な道路があります。しかし当時はそれはなかった。
一度自分の車で挑戦してみたことがあります。カーナビがない時代です。まだ若かったです。二度と行くもんかと思いました。
新田三丁目交差点付近には現場から最寄りのコンビニとか食堂とかがあって昼休みなどはたいがいそのあたりにいってました。だからたぶんそれを見たのは昼時でしょう。
新田三丁目を右折するか左折するかするはずのバスが何を思ったかまっすぐ突っ込んでいきました。
あれ?ルート変わったのかな?とそのときは思いました。
飯を食ったかコンビニで買い物を済ませたかして交差点に戻ると……
バックしてリカバリしようとしているバスがいました。
まさに立ち往生です。
俺が経験したバスにまつわるエピソードで間違いなく最も強烈な瞬間でした。
この記事を書くのGoogleMapとかストリートビューとか見ちゃいました。
当時ランチローテーションに入っていた店の一つがまだ健在で、当時は覚えてもいなかった店の名前まで知ることができました。
確か朝ドラ再放送を見ていたような気がする。ええにょぼだったか。