有名人に「声を上げてください」と要求する人はクズ

俺はそう思ってますよ。

別にその本人がどう思おうと、どう発言しようとかまわない。他の人にそれを要求する行為がクズ。

俺自身もオリンピックをやるべきかやらないべきか、個人の意見を求められれば考え込みますが、やっぱり、それを目指して常人には想像もつかない鍛錬をして、運もつかんで出場できる人がいて、同じように鍛錬を積んだ人たちが集まった大舞台でもわずかな差で勝利する可能性を夢見ている人たちのことを考えると、見ている人がいない状態であってもやるべきなんじゃないかと思ってます。

俺自身はそう思うだけで、他の人がどう思うかというところをコントロールする気はさらさらない。最終的には決定権がある人がその人の責任で決めることであるということは理解しています。

 

 

ネットが普及し始めててからずっと夢見ていることがあります。

それは、ネットによって「誰が言ったか」「誰がやったか」ではなく「何を言ったか」「何をやったか」が評価される時代が来るのではないかということ。

ネットに公開日記を書き始めた初期、十何年か前からそれは書き続けているんですが、世の中はそれとは反対方向に進んでしまっています。

これもまたあくまでも個人的な感想というか妄想ですが、「誰が言ったか」「誰がやったか」という評価基準によって利益を得ている既得権益が、その権益が失われる「何を言ったか」「何をやったか」という評価基準が普及する方向に進まないようにうまいことコントロールすることに成功しているんじゃないかと思ってます。

ネットでの発信、それにはYouTubeなどの動画やSNSによる発信も含まれますが、今の状況では、それはリアルの世界に横入りするツールにしかなってないと思っています。

リアルの世界では長い下積みを経て上位に位置する人に気に入られてようやくデビューし、そこで実際に力があればもう少し立場が上になって、自分が上の立場になれば今度はデビューを目指す人たちに対して自分が気に入られようと努力した人たちと同じような待遇を受けてという流れですが、そのうち長い下積みの一部分だけをネットで代用しているだけなんじゃないかと思っています。

そうでない人もいるという反論もあるでしょうが、結局そこでも「誰が」っていうことになっちゃうんですよ。そうじゃなくて誰がは関係なくて「何を」を評価する社会にならないと何も変わらないんじゃないかと俺は思ってるんですよね。

俺が妄想する社会が実際に機能するようになるにはどのような仕組みが必要か、それももちろん妄想しています。必要なのは匿名性が高い決済システム。

残念ながらこれは変わらないと思っているのは人間は生きていかなければならないということ。生きていくには今の社会システムでは何らかの収入を得なければならないということ。こと、コンテンツについては、昔からコンテンツにではなく人に対価を支払うといういびつな構造になっているように思えてなりません。

コンテンツに対して正当な対価を支払うのが当たり前になれば社会はずいぶんと変わるんじゃないかなぁと思っているんですが、コンテンツではなくそれを作った人にどうしてもスポットライトが当たるような状況になってしまっているんですよね。

俺だっていいコンテンツを見ると「この人誰?」ってなっちゃうんで、心情的にはわかるんだけど、そこを変えたい。そんなの昭和の人のいう事だよwって言われるような社会はあと1つか2つ時代が進まないと無理なのかもしれないなぁと。つまり、俺が生きている間に夢想する社会が現実になることはないんじゃないかなぁと。

昭和から平成、令和と時代は移り変わってますが、根本的なところはあんまり変わってないなぁと感じている今日この頃です。

50過ぎてるのにガキっぽいですがね、そういう自分が想像している方向に社会が発展していくお手伝いができないかっていうことは日々の地味な仕事をしながらも考えていたりします。もちろん、そういう仕事をする以上、自分の名前やハンドルネームは一切表に出てこないということになりますけどそうでなければいけないんですよ。

難しいよね。だからこそ面白そうで妄想がはかどります。