『ゆるキャン△』にはまった理由

はまりましたね。

それも、俺には珍しいはまり方をしてる。

 

Twitterうる星やつらがトレンドに入ってて何かと思ったら再アニメ化とのこと。

今ちょうどもともとのアニメの再放送をしていて録画してみてるんですけどやっぱり原作の方が好きだなぁと確認しています。

テンポや間、毒の入れ具合とか時々あるちょっといい話とかそう見せかけてしょうもない落ちとか、そういうのはどうもアニメよりも原作の方がしっくりきます。

思い起こしてみると、漫画や小説といった紙のメディアがベースになっている作品の場合、俺はいっつも原作信者になっちゃいます。

映像メディアにあまり興味がなくて、その良さもイマイチ理解できなかったりします。

 

そういう俺にとってこの『ゆるキャン△』ってかなり例外的な作品です。

タイトルに惹かれてなんとなく2期途中から再放送してたのを録画し始めて、見たら面白くて、すぐに1期の再放送があったんで録画して、それも面白くて、ネットで実写ドラマの無料配信もされててそれ見てみたら面白くて、それでようやく原作に手を出したらそれも面白くて、つてを頼って実写ドラマの方を全部見たらそれも全部面白かった。

そして、アニメ、ドラマ、原作、それぞれすべてほとんど同じエピソードを描いているはずなのにそれぞれが違う味わいを持っているというなんとも不思議な感覚にとらわれて、それらすべてを繰り返し読んだり見たりしているという、たぶん今までの俺には無かった接し方をしている作品になっています。

 

アニメ、ドラマ、原作の違いっていうのが感覚的なものなので、自分でもどこに違いがあるのかはっきりわかっていないっていうのもあって、こうやって書くことによってその違いに行き当たるかもしれないと思い感想を書いてみます。

 

とりあえず、俺がはまった理由っていうのにはいくつか思いつくところがあるので列挙してみます。個人的な理由から普遍的な理由っていう流れになるようにしてみますね。

 

 

  • その1 山梨

作品の舞台が山梨なんですよね。山梨には縁がありましてね。身延じゃないけど。作中時々でてくる「ずら」言葉は子供のころから生で接していました。

よく行ってたところは富士山のすぐ近くなのに富士山が見えないという微妙なところだったんですけど、ちょっと移動すれば大きな富士山が見えるので、本栖湖の富士山は見たことなくてもあんな感じなんだよなぁというのは想像がつきます。

ちょっと「ゆるキャン△」とは違うのは彼女たちが非日常として接していた場所の一つである富士五湖周辺が俺にとっては日常の一部だったってところですね。

作中にはほとんど出てきてないですけど、吉田、河口湖、西湖、鳴沢あたりが俺にとっては日常的なエリアで、逆にそのあたりには観光に行っても観光気分がイマイチ盛り上がらないです。船津とか吉田は買い物に行くところで鳴沢にセブンイレブンができた時は画期的だったなぁとか……

そういえば、これは本当にものすごい偶然なんですが、まだ原作を全部読み終わる前に、アニメとかドラマになってない12巻で行ったことになってる瑞牆(みずがき)山のふもとに行ってるんですよ。

無自覚に聖地巡礼していましたw

初めての動画アップロードをしたのがその瑞牆山ドライブでした。

もしその時原作を読み終わってたら何かしらは言及してたんじゃないかと思いますしサムネとか、そもそも走行ルートも変わってたかもしれない。

さすがに満足してるだろうと思って林道の一部は走らなかったんですが、漫画に出てるキャンプ場のそばを通るルートにしてたような気がします。

youtu.be

そんなこんなで、ご縁があるところが描かれているということで興味をそそられたっていうのがあります。

これもたまたまですけど、録画して最初の話が山中湖のキャンプで凍える話でしたらからねぇ。あの温泉行ったことあるって思ったりしちゃうもんな。

 

  • その2 キャンプ

キャンプもしてたんですよ。もう何十年もしてないですけど。

これもすごい偶然なんですが、行ったところがあるキャンプ場って山梨と伊豆なんですよねぇ。山梨は道志だけど。道志は県内の人はあんまりいかないのかも。東京から一番近い非日常感がでるキャンプ場エリアですよね。

俺はそんなに道具を持ってなくて自前の物は寝袋と銀マットくらいだったんですが、他の人が使ってる道具を見ると欲しくなるっていう感覚はすごくよくわかっちゃいます。

そして、キャンプと温泉はセットっていうのもすごくよくわかりますw

キャンプ場選びで、電波が届くところを選ぶっていうのもリアリティがありますね。俺は逆に電波が届かないところの方がよかったですけど、「ゆるキャン△」の主要登場人物たちは高校生なんでね。社会人だと電波の拘束から解き放たれたいっていうしょうもない願望があるんですよw

キャンプの思い出もたくさんあるはずなんですが、今思い返してもどうもネガティブな思い出が多いですね。だいたい雨が降るし。

なによりも……キャンプに行こうとしたら都内で全損事故食らったっていうのがね。強烈なネガティブな思い出。その時のことを語った動画もアップロードしてますが忍びないのでリンクは張りません。なによりも恐ろしいのは車を失って軽傷を負った挙句にキャンプ場まで拉致されたってことです。

ただ、そういうネガティブな思い出も込みで楽しかったです。集中豪雨の中アウトドアで過ごすなんていうのも普通に生活しているとなかなか経験できない非日常的な経験ですし。

 

  • その3 人間関係

ようやく少し普遍的な理由に踏み込んでいきます。

この子たちの関係性が妙に心地いいです。みんながみんな同じグループに属していていつも一緒に行動するっていうのじゃなくて、それぞれがそれぞれの性格とか生活を尊重して、気が向いたら一緒にっていう感覚が描かれてるのがとてもいいです。

個人的な話だと、俺は一人でいるのも好きで、一人でいたい気分の時に「なんで一緒に来ないの?」とか言われるとリンちゃんじゃないけどいやそうな顔をしてしまうタイプなので共感を持ってしまいます。「気が向いたら行くよ」っていうわがままを受け入れてくれるというか当たり前のこととして受け止めてくれる人たちがいるっていうが描かれてるのはいいなぁと思うし、なかなか漫画とかでは描かれることが少ないんじゃないかなぁとも思ってます。

「野クル」っていう部活があるから、その部に所属している3人はいつも一緒に行動すると思いきや、キャンプでのグルーピングとしてはむしろ千明、あおい、帰宅部の恵那で1つのグループ、リンとなでしこで一つのグループとして描かれることが多いのも面白いですね。

学校の関係性ではリンと恵那がグループ、野クルメンバーがグループなんでねじれてます。

その野クルっていうのも部活っていうにはすごくゆるくて、顧問の先生が一緒なのに部に所属してないリンや恵那も参加できるし、さらにあおいの妹まで参加しちゃうというゆるさ。顧問の先生というより車に乗せっててくれるおねーさんっていう感じなんだよな。同じおねーさんキャラの桜は当然なでしことの距離感とそのほかの面々との距離感が違うけど、みんなと同じ距離感を持ってるおねーさんですね。

そういう距離感を作ることができた理由も、最初にリンとなでしこがそうなるとは知らずに出会ったときに飲んだくれてたっていうのがあるからなんだろうなぁと自然に理解できます。四尾連湖での1件が無ければ先生の方ではフラットに接しようとしても生徒は構えちゃうし遠慮もしちゃうと思うんですよね。

先生として出会う前に素の姿を見てるっていうのがあるからその後の展開があったんだろうなと。逆に先生としても監督するみたいな上から目線だけではなく若干の負い目も感じてるし、それとは逆にもう知られているから生徒の目が有っても欲望に正直になれるというのもあります。

この先生と生徒の関係性ってフィクションならではでありますが心地よいですね。

今出てきている中ではもう一人、綾乃っていうのも面白いキャラ配置ですね。地理的に離れたところに住んでいて、高校生だけどバイクの免許を持っているっていう縁で二人をつなぐなでしこがいないのに一緒に遊びに行くっていうのはゆるくて素敵です。

そのうちほかのメンバーとも交流する話が描かれるんだろうなぁと予感させられます。

春休みの花見キャンプに誘ったりするのかな?

この作品の場合、無理に誘うという展開にしないからもう少し引っ張るかもしれませんけどね。

何にしてもこの全体的にゆるい関係性が読んでて見てて心地よいですねぇ。

タイトルからしてこういう世界観を作者は描きたかったんだろうなぁと思います。

 

  • その4 移動

これも普遍的寄りですが個人的な部分も多々ある要素です。

地図を見ればわかるけどこの子たち、けっこう離れたところに住んでるんですよね。浜松の綾乃はもちろん、リンは学校の比較的近く(実写ドラマでのロケ地もそうだし、架空の学校名「本栖」っていうのから見てもそう)で、千明とあおいはどうやら同じ駅の幼馴染的な関係、恵那、なでしこはそれぞれ別の駅っていう設定だと思います。

だから登校下校もみんな一緒にってことはなく、それぞれが自分のタイミングで自分が使っている交通機関で行動していて、なにかあれば一緒にっていう感じ。

俺は東京だったけど、キャラたちが一緒に歩いて家の近くまでみたいなのよりずっとリアリティがあります。

この子たちは身延に寄り道してますけど、俺は定期で行ける神保町や秋葉原、北千住に行ったり、ちょっと足を延ばして渋谷とか新橋とか蒲田に遊びに行ったりっていうのを時々してましたけどそういうのを思い出しました。

もう一つ、移動っていうのはキャンプにつきものです。その移動の行程も描かれることが多いっていうのがうれしいですね。

物語では移動が省略されることが多いですが、移動こそが楽しみっていうのもあります。同じ行程での移動であっても、目的地に着くまでの移動と目的地から帰る移動とではテンションが違うっていうのもよくわかるんで共感できます。

移動で思い出したんですが、最初の野クルキャンプになでしこが待ち合わせに遅刻した理由がアニメと原作で違うんですよね。アニメでは電車に乗り遅れた、原作では駅で迷った。どっちがリアリティあるかっていうのは微妙ですね。身延線はせいぜい1時間2本だから電車乗り遅れると大遅刻だろうし、かといって駅で迷う前に同じ電車だろうっていうのもあるだろうし。原作設定では車で送ってもらって駅中を散歩してたら迷ったっていうところでしょうか。

そういえば瑞牆山キャンプでも身延線の同じ電車に乗るんじゃなくて韮崎駅待ち合わせにしてましたね。家の事情によってはそこまでは車で送ってもらえることもあるっていうのがリアルだってことなのかもしれません。

 

  • その5 飯テロ

飯テロってやつですよ。これは。キャンプ飯っておいしく感じるんですよねぇ、たしかに。それになんかこの実用的っぽい知識がちりばめられてるのがすごくリアリティあってとってもいいです。片付けが大変にならないようにするとか実際大変だったとか。

あとはなでしこのキャラですね。おいしそうにたくさん食べるキャラ。いっつもなんか食べてるキャラ。周りを固める特徴的なキャラとしてはありそうな気がするけどこういうキャラが主人公的ポジションを占めるっていうのも珍しいかも。

若い女の子たちが後先考えずにおいしそうにたくさん食べるっていうのが描かれてるのはとっても読んでて気持ちいいっていうのを初めて知りましたよ。

自転車でのトレーニングというか修行でダイエットとともに体力をつけたっていう設定ですけど、綾乃には丸っこい時も好きだって言われてるし、本人も昔の自分を否定しているわけではないというのがいいなぁと思います。

この作品の作者が男性なのか女性なのか未だに想像できてないんです。このあたりは男性なのかなぁと思うんだけど別のところでは女性なのかなぁと思うところもあります。

 

  • その6 主人公

主人公感が希薄なんですよ。この作品。

上にも書いたけど、俺はアニメ2期の山中湖キャンプから見始めました。その時の印象では主人公は恵那なのかなぁと思ったんですが全然違ったw

それって物語の骨格がしっかりしていないというネガティブな見方もできるとは思うんですが、俺はむしろ登場人物全員が自分自身の物語の主役として描かれてるというポジティブな見方をします。

人間関係のところでも書いたように、リアルで生きる人たちと同じように彼女たちには彼女たちの都合とか気分があっていつも一緒に行動しているわけじゃないし、自分を犠牲にしてみんなで一つの目標に突き進んでいくわけでもないんですよね。

ただまぁ原作ではなでしこが主人公なんだろうなとは思います。彼女が山梨に来た時から物語が始まってるし、自覚がないすごい人として描かれてもいます。

キャンプ初心者だったのに色々覚えたり、「切ってぶちこんで煮るだけ」という恐怖しか感じない言葉とともに作った料理がおいしかったり、郵便配達も要領よく済ませたり、自転車で本栖みちを登ったり(リンもやってるけど)、知らない人ともすぐに仲良くなったり、すごい子です。でもそれを自覚している様子もなくゆるーく生活している。

ともあれ最初にアニメを見た時には主人公が誰だかわからなかったし、ということはこの先今までは描かれなかった組み合わせでの話も作られたりするのかなぁという楽しみもあります。

なりゆきでリンが苦手だと思ってた千明と2人で遊びに行くとかありそうだよなぁ。

 

  • その7 変化

これは普遍的な話です。

その3で書いた人間関係もそうですが、この子たちがどんどん変わっていくのが楽しいですね。

先生も酔っぱらいながらも先生目線で感じているように成長している。

キャンプのことなんか全然知らなかったなでしこはもちろん、経験をそこそこ積んでたリンも、そのほかのメンバーもみんな少しずつ、自分では気づかないくらい少しずつ成長しているのが描かれています。

この物語はなでしこが山梨に引っ越してきたところから始まっているので、原作でも描かれてるようになでしこが来てみんな変わったっていうのはあるでしょうけど、もしなでしこがいなくてもみんな変わってたんだろうなと思います。

その変化っていうのが物語としては感動したり、いわゆる心にしみるという状況させる大きな要素になります。というのは俺の理屈。

あるとき感動する物語ってなんだろう?って突き詰めて考えて、結局のところそれは「時の流れ」だっていう結論に達しました。時の流れっていうのは元に戻すことができないという意識があって、それを感じさせる物語には本能的に感動してしまうし、その時の流れをいじる物語にもロマンを感じたりしてしまうと思ってます。

そのあたりのことは十数年前に書いてます。

第十日:トゥルーエンド - tanabeebanatの日記

それを感じさせる物語っていう要素があるからこの先も楽しみだし、キャンプをしていない時の話も読めちゃうんじゃないかと思ってます。

たぶん、設定ではこの子たちは高1だと思うので、卒業まで描くとしてもあと丸2年あるんですよね。かいつまんで描かれるとしてもかなり時間がかかりそうです。

 

 

さて、最初に書いたアニメ、ドラマ、原作、それぞれで得た感覚の違いっていうのにも最後に思いつくままに書いてみます。

 

とはいえ、まとまってるわけじゃないんですが、ドラマが原作、アニメとは違う感覚だっていう理由はなんとなく感じています。

それは実写だから。何の理由にもならないと思われるかもしれませんけどそこがポイントだと思います。

その7で書いた変化っていうのが一番意識付けされるのが実写だと思うんですよね。オープニングエンディングの歌でもその部分が強調されています。

演じている女優さんたちは物語の進み方よりも長い時間を過ごして成長しているだろうし、キャンプ場の風景も変わっていく。

それこそ、この先数百年とか千年とかいうスパンではたぶん発生する富士山の噴火なんていう大事件が起こればこの作品で描かれてる風景は大きく変わってしまうかもしれません。

原作やアニメは、実在の世界をモデルにしているけれど一種のファンタジーとして失われた世界を作ったり成長しないキャラクターすら描くことも可能ですが、特にこのドラマの場合はセットでは表現できない風景っていうのがありますからね。

ドラマでは主人公格として描かれてるリンを演じた女優さんが朝ドラヒロインになったんで、この先こういうゆるいドラマにキャスティングできるのかという現実的な問題はあるにせよ、ドラマの方も続きを作ってもらいたいです。たぶん見ます。

俺がドラマを見たいと思うってマジ珍しいんだから。

アニメと原作の違いっていうのがどうにもうまく言葉にできないです。

相違点って細かいところしかないんだけどなーんか違うんですよね。アニメの方はたぶん3期もやると思うんでその時に片づけられるかもしれない宿題になるかもしれません。

その前にアニメ映画になるらしいですけどそれは見に行くかなぁ、たぶんいかないだろうなぁ。映画を見るという習慣がないので……。近所のシネコンでもやるっていうことになって、たまたま上映期間が別の用事での有休に重なったら行くかもしれません。

映画に対する意識はその程度。

 

原作1巻では、島でのキャンプとか上高地でのキャンプとかも考えてるらしいので楽しみです。特に上高地はね。

高校なのに登山部があるらしいから、そっちと一緒に上高地と言いながら涸沢カールでキャンプしちゃったりして。俺は行ったことないけど憧れます。なでしこだったら軽身なら穂高とか槍に登っちゃうかも。きれいな富士山が見えるとかいう餌につられそうw

俺は槍には行ったけど富士山見た記憶はないなぁ。へろへろだったもんなぁ。

 

なんだかすごい久しぶりに長文感想を書きました。文章書くのに没頭したのって久しぶり。去年の秋以降は動画編集に夢中になってましたけど文章書く方がやっぱり好きだなぁと改めて思いました。書きたいと思う材料さえあればまだ俺にも長文かけるんだな。

 

そうだ、「去年」で思い出した。

最後になりましたが、あけましておめでとうございます……

新年感が無くてすっかり忘れてたw