「エール」を見てて「古関裕而ってすげーなー」と思ったところ

ちょうどドラマが始まったころ在宅勤務も始まって、朝ドラをやってる時間に家にいることが多くなりました。

人気があるという理由の一つにはたぶん今まで朝ドラを見る習慣がなかった人たちが見ることによって母集団が増えて刺さる人もその分増えたっていう要因もあるんだろうなと思います。

俺も面白いなぁと思ってみてますが、同じ朝ドラではやっぱり「あまちゃん」が一番すごかったなぁと思ってます。あのドラマは途中の1話だけ見ても面白い作りになっていて朝ドラの毎日15分というフォーマットだからこそできたんだろうなぁと。そういうのはエールというドラマには感じてないのですが、このドラマで描かれるモデルの古関裕而っていう作曲家は本当にものすごい人だったんだなぁとひしひしと感じています。

 

 

何がすごいって、誰が作ったかはしらないけど何となく覚えて何となく口ずさんでる曲の多さです。この「誰が作ったかはしらない」っていうのがポイントです。

「高名な作曲家が作ったから素晴らしい曲だ」じゃないんですよ。

誰が作ったかには関係なくなんとなくいい曲だなって思ってしまうっていうのは、作った人の肩書とか名声とか人格とか背景とかには関係なく、本当に「曲自体がすごい。誰が作ったか関係なくすごい。」ってことです。

ドラマの中では軍歌とは言ってなかったですが、子供の頃は何となく軍歌として認識していたような曲たち。誰が作ったかは知らないけれどその多くはなぜか短調で今思うと確かにどうして暗さや悲しさを表現することに使われることが多い短調なんだろうと。

飛び飛びで見てるのでもしかしたら描かれてたかもしれないけれど俺は見てなかったのでこのドラマの中でその理由が語られてたかはわからないですが、おそらくは詩を作った人や歌う人聞く人の心情を思うと短調になったってことなんだろうと今は想像できます。

 

街中とかテレビとかで曲を聴いたとき「これってXXさんが作ったみたいな曲だなぁ」って思うことがあり、それが当たって「ああやっぱり」と思うことがままあります。

いわゆるXX節ってやつですね。違っても作った人がその人の影響を受けたという話をしていたりするやつ。

それはそれでとても素晴らしいことだと思うんですが、俺がすごいと思ったのはドラマで取り上げられた古関裕而っていう作曲家の作品を聞くとそういう「誰が作った」っていうのを感じさせないところです。

だから「これも?えっ、これもなの?それっておかしくね?」と思っちゃうんですよね。

 

ちょっと前に高橋留美子の記事で代表作が人によって違うって書きましたが、古関裕而の代表作もたぶんきっと人によって違ってるしそもそもこのドラマでやるまで古関裕而が作曲したって知らなかった曲がそれになるかもしれないし、このドラマでやってなくていまだにだれが作ったか知らないけれどその曲っていうこともあるかもしれないし。

高橋留美子の場合はテンポというか間というかが自分に合ってるなぁと思えているので作者の色っていうのがあると思うんですが、古関裕而の作品ってそういう色が薄いのになんかすごいのがたくさんあって、すげぇなぁと思います。