「おかえりモネ」が傑作朝ドラだと思った理由

裏を返すと最高傑作だとは思ってないってこと。

たぶん俺が生きている間には俺の判断基準では「あまちゃん」を越える朝ドラは生まれないと思ってる。

 

 

在宅勤務メインになって、時報代わりにみる機会が飛躍的に増えたっていうのがありますけど、他のタイトルも含めて朝ドラってやっぱりよくできてるなぁとは思います。

俺が子供のころは戦争っていうのがドラマの中での鉄板エピソードで、今でもやっぱりそういうドラマの方が多いですが、阪神大震災を描いたり東日本大震災を描いたりというマインド的には一大転機になった歴史を重ね切ってはいないイベントが中心になることも増えてきました。

あまちゃん」と「おかえりモネ」は両方とも東日本大震災っていうのが物語の根底にありますけど、まぁ「あまちゃん」はもうそういうの関係なく、作りというか構造がすごいってことで俺の中では別格扱いになってます。「おかえりモネ」はそれとは違って、あくまでも今までの価値観の中で傑作だなぁと俺は思いました。

 

その理由は、予定調和にならなかったところにありますね。

みんな幸せとかではなく、それぞれが抱えている傷っていうのは完全に癒えることはないし、追い打ちをかけるように別の問題が起こって人生に影響を与えるっていうのも最終週で描かれて、ドラマの登場人物がこの先幸せになるかどうかっていうのは視聴者の想像力にゆだねられているんじゃないかなぁと思いました。

俺はどうもそういう終わり方が好きみたいです。

現場にいた人も、いなかった人も、何らかの形で影響を受けた人は、大小の差はあっても、何らかの傷を負っているっていうことを改めて認識しましたね。

 

阪神大震災では俺の住む東京近郊は間接的な影響しか受けなかったわけですけど、その時ちょうど新潟出張仕事をしていて、毎日仕出し弁当を食べる昼休みには地震の前からNHKラジオが流れていました。地震が起きてからは通常放送ではなく、被害の状況や当時は一般的だった犠牲者、行方不明者のお名前を読み上げる放送をずっと聞いていてメンタルはやっぱりやられました。

 

東日本大震災ではたまたま休憩室にテレビがある職場で、震源と規模の速報値を見た瞬間にメンタルをやられるっていうかぶっこわれましたね。

その時に襲ってきた違和感からは今もまだ逃れることはできないですし、おそらく死ぬまで逃れられないでしょう。

「なんで俺、のうのうと生きてるの?」

ってね。

自然現象に興味を持っているので、火山の噴火とか地震とか自分で体験してみたいという思いはずっと持っていましたが、自分で体験した以上、その体験と同時に死んでしまう可能性は高いんだろうなぁともずっと思ってました。

当時の自分の知識では、あの震源であの規模の地震が起きるというのは想定していなかったので、少なくとも俺が学生をやっていた時代とそれ以前に作られた施設は壊滅的な被害を受けても俺は責めることはできないです。その施設の中には事故を起こしたあの施設ももちろん含まれます。

無事で済んでほしいとは思っていたけど、無事で済んだらどんだけオーバースペックで作ったんだよとも思ってました。

そして、それ以上に周辺地域の強さにはびっくりしたね。もちろん無傷では済まないけど俺が想像したよりはずっと被害が少なかったですね。

自分の家、つぶれたかもって思ったもんね。想定してないもん。

 

そのあとの通勤が大変だったとかそういう些末なこともありますが、そんなわけで俺自身もやっぱり傷を負ったわけです。俺の場合は「やっぱり自然現象はすごい。これをもとにさらに研究が進むはずだ。」という前向きな思いにもなれましたけど。

 

その場にいた人はもちろんのこと、その場にいなかった人も描くことによって、当事者以外の人たちの傷もソフトに刺激してくれて、思いを新たにさせてくれたという意味で「おかえりモネ」は傑作だったんじゃないかなぁと俺は思ってます。

おわりに一つ余計なことを言うと、ドラマが始まった時に「妹ちゃん、途中でいなくなっちゃう筋書じゃないだろうな」って心配してました。結局最後まで元気だったんだけど、そう思った理由はもしかしたら最終週で語られた「傷」を無意識に感じとっていたからかもしれません。