読書感想文 大森藤ノ著『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』 1巻~15巻

結局ゆっくりと全部そろえて読んでしまいました。おもしろい。

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いろいろ感想を書いてみますが万が一にも真に受けないでもらいたいです。その人にとっておもしろいかそうでないかがすべてだろうから。

 

読んでて思ったのは、この小説ってもしかしてライトノベル以外の分野で活躍していて名の知れた女性小説家が、少なくとも読者に対してはそれを隠して書いているんじゃないかっていうことです。

具体的なお名前は避けますが。

まぁそもそもそれ自体たぶん当たってないだろうし。

 

何でそんな風に思ったかというとなんだかとっても読みやすいし手慣れてるんですよね。そして個人的に一番感心しているのがスタートからここまで物語り世界の中では破綻がないように思えるっていうところです。

よく言う「筆が滑る」ってやつで何の気なしに書いた一文を回収するかしないかというようなことは特にファンタジーではよくあることなんじゃないかと思っています。そのことを意識したのは某超長編ファンタジーで後書きに「二度にわたるユラニア遠征」という一言を回収するために膨大な物語が生み出されたってのを読んでからです。

偏見で申し訳ないけどライトノベルって案外とそのあたりは甘いと思うことも多く、そこがしっかりしているとそれだけでかなり印象はよくなります。推理小説読みですからね、論理の破綻は作品の破綻とか極端に考える節がありますので。おもしろければそれでいいと思ってはいるんですけどどうしても離れられない。

 

さて、内容の方に話を移します。

15巻は中休みといった感じですがそれまではこれでもかというくらい大安売りと言ってもいいようなピンチの連続。主人公たちの実力では本来切り抜けられない状況を仲間たちの助けと運でぼろぼろになりながらも主要キャラクターは命を落とさずに物語が進んでいます。

こんな都合のいいこと起こるはずがないよという感想を持ってしまいますが、そこで思い出すのが「幸運」のアビリティ。ならしょうがない。

そもそも1巻からして主人公が他の登場人物と比較してあり得ない速度で成長するっていうのもこの手のお話では俺を冷めさせる要因の一つになるのですが、それについては最初に説明がされてしまっているのでやむを得ません。納得してしまう。

 

ここまでの展開では、物語世界の「多様性」っていうのが魅力であり鍵になっているように思えます。

人間=ヒューマン以外にもいろいろな種族の「子供たち」がいて、その子供を見守り支え、支えられる多種多様な神が存在する。神と子供たちには共通の敵がいるけれど、その敵の中にも多様性があり、敵との共存、つまり敵を多様性の中に取り込むという物語としても一つのゴールも設定されています。

多様性多様性と叫ばれて食傷気味ではありますが今の時代にとても合った物語という印象を持っています。

誰もが多様性に戸惑い、それぞれが最善と思う判断をして対応をするけれどその判断は必ずしも一致していなくて今までは協力していた勢力が対立をしたりもする。

そして神や子供たちも決して一枚岩というわけではなく、仲がよかったり悪かったりする。

うーん。やっぱり……。

 

この作品は案外と海外でも受け入れられるかもしれないです。人口ではなく地域の広がりという意味では今の世界では圧倒的に多神教より一神教の方が優勢です。この作品では多神教の世界観をベースとしているそれをファンタジーとして受け入れることができる一神教世界の人たちにとってはおもしろい世界だと受け止めてもらえるんじゃないかなぁ。

 

この物語はまだまだ続いていくのでしょう。主人公をはじめとして主要な登場人物はこの後も何度も死にそうになりながら最後はハッピーエンドになるんでしょう。たぶん。

 

ダンジョンの一番下に到達したとき、どのような出会いが待っているのでしょうか。