読書感想文 大森藤ノ著『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』

年末、忘年会で友達から3巻まで借りて正月休みに読んでみました。

これって女性が書いてるっぽいなぁと思ってWikipediaみたらやっぱり作者は女性だった。

ga.sbcr.jp

旧サイトも含めてライトノベルシリーズの感想を新しく書き起こすのは久しぶりです。感想を書くということはおもしろかったということです。つまらなかったり気に入らなかったほんの感想を書くような趣味は俺にはありませんので。

少年がダンジョンに潜って成長していく物語ですが周りをすてきな女性たちに囲まれ、さらにチート気味にどんどん強くなっていくっていうのは、多くの読者からは「またですか」と思われるのではないかと不安になるような設定です。

とはいえ、今日書いた別の感想文同様に王道設定でうまく書けばそこそこ人気が出る設定っていうのも事実でしょう。

 

何で女性が書いたんじゃないかと思ったのかというとそれについては旧サイトで何度も書いているような気がするので割愛します。本を読むときに書いた人の性差、読む人の性差(俺の場合は男性目線でしか感想が持てない)というのが「ある」ということを意識して読むのがなんだか癖になってしまっていて、実際その視点で読むと今まで見えなかったものが見えてくることもありますので。

 

この小説の設定でおもしろいなと思ったのは「神様」です。2つの点でおもしろいなと思いました。

1点目。これはもうおそらく皆さんそう感じていると思いますが作者や読者と同じ目線での登場人物として、「神様」がいるということです。

冒険者たちの背中にゲームよろしく刻まれる数値やレベル、それを楽しむ神様たちはまさにゲームのプレイヤー。それぞれのキャラクターに思い入れはあっても、冒険の結果命を落としたところでがっかりするだけで自分の身に危害が及ぶことはないという立ち位置です。しかし望めばあるいは不幸にも巻き込まれれば自分でもその戦闘の中に身を置くことにもなるという没入できるポジションでもあります。

この立ち位置に一人ではなく多数のキャラクターを配置しているというのはすごくおもしろいなぁと思いました。

2点目。それはラブコメ的な流れの中での純粋な傍観者になりうる存在ということです。それぞれが魅力的な女性としての姿を持っていても、あくまでも神なので人やその他種族の恋愛に本当の意味では割り込むことはない、できないという立ち位置。もしかするとそれができないってことが今後物語の中で描かれたりするのかもしれないけど。

よくある話でラブコメのかき回し役がいつのまにやら主人公やヒロインに惹かれて当事者になってしまうってのがありますが、それがおこりづらい設定になっています。

それもまた1点目と同じで読者と一緒に主人公などの恋愛模様をどきどきはらはら見守るという立ち位置でいることが可能な設定です。

 

おもしろかったら4巻以降は自分で買ってくださいといわれているのでこの本も今日ちょろっと探してみようかと思ってます。

正月から本のエンゲル係数が上がりそうでやだなぁ。