酉の市に行って心をよぎったいろいろなこと

先日仕事帰りに職場の人たちと酉の市を見物してきました。

酉の市というよりおとり様と言った方がいいんですが正式名称酉の市ってことで。

 

まず思ったのは外国の人への説明の難しさです。

これはお祭りなのか?名前の通り単なるマーケットなのか?まぁマーケットなんだけどなんでマーケットにこんなに人が集まるのかがさっぱりわからん。

それに、東アジアの一部エリアを除いて干支の概念がないのが説明にはつらい。

まず年に干支があり、日にも干支があるということを理解してもらわないと、新暦11月の干支が酉の日に開催されるという風習であるということを説明してもわけがわからないです。

それはともかく日本の人でも酉の市が0時から24時まで開催ってことはあんまり知られていないですね。

朝いくか夜いくかで迷ってた時期もそういえばありました。

酉の市のメインはくまでを売ってるエリアですがそこに至るまで延々と夜店が続くのがとても刺激的です。どれもこれもかなりお高いお店ではありますが雰囲気がありますよね。

今年びっくりしたのは鮎の塩焼きを炉端で焼く屋台が出てました。これはもはや屋台ではないという感じです。

路上で酒を飲んでる人もたくさんいてやっぱりマーケットというより祭りだよなぁと思ってしまいます。

 

さて、今年の酉の市、なんとなく一の酉も二の酉も両方いっちゃったんだけど両方とも激混みでした。一人で行動していれば裏から裏へと回り込んでなんとかなるんだけど不案内な人と一緒に行くとはぐれる不安もあるのでそんなことはできず正面突破していくしかないので、人の壁に行く手を阻まれたりもしました。

今年はいったい何でこんなに混んでるんだろう?

 

賑やかな屋台を抜けて帰途につきましたが、ふと思い立って生まれ故郷に立ち寄ってみることにしました。

育った家は非常にディープなところにあるので夜道だと迷いそうだったんで寒かったし広い道を歩くだけにとどめました。

子供の頃は「広い道」と認識していた道が車同士はすれ違えないような道だったり、路地に至ってはうっかりすると歩いてるだけで体を壁に擦るんじゃないかという細さだったり。

「ここは戦争で焼けなかったからそのまんまだ」といわれていたことが懐かしく思い出されます。

一般的な意味で言うと今暮らしている千葉の住環境は「恵まれてる」なぁと思いましたが、せせこましいところで生まれ育ったせいかそういうところの方がなぜか落ち着くというのはいかんともしがたいところです。

周りを軽く見回しても子供の頃から変わってなさそうだったのはせんべい屋と病院くらい。あーあ、こんなに変わっちまって…と思ったのですが…。

 

生まれ故郷を離れて30年以上経ってるんですよ。そりゃ変わります。

俺が生まれる30年前はどうだったか?昭和10年代です。ある程度開放的だった時代から軍国主義に舵を取った時代。

生まれる20年くらい前には東京は焦土と化して敗戦国として占領されていました。

その後世界的に唯一と言い出すとソースを調べなきゃいけないので希なという表現にとどめますが、軍事的な背景を持たない大国という不思議なポジションに至る階段を登り始めていました。

俺が生まれる前の30年の変化に比べれば、俺が変化を感じた30年なんてちゃちいもんです。

俺より一つ前の世代の人たちは激動の時代を生きてきたんだなぁと痛感しました。

それでもまだ俺は世界においつけ追い越せという雰囲気からバブルという絶頂期に至る期間のことはまだ子供だったとはいえある程度知っています。

俺より一つ後の世代の人たちは日本がある程度登り詰めてからのことしか知らないわけで、コンピュータネットワークの普及などによって生活は変わったけれど、平坦な時代を生きているんじゃないかなぁ。

そのことを否定的に言及するつもりはありません。むしろそれってとてもいいことなんじゃないかと思います。

戦争もなく、上を目指して死ぬほどがんばることもなく、豊かではなくても何となく生きていて何となく生活していける。こんな平穏な時代がよくないなどというと怒られちゃいます。

 

帰りの電車に乗るとそこはまた現代の日常。久しぶりに生まれ故郷にと書きましたがそれは嘘で、いつも地下で通過している街です。

酉の市という江戸の風情を残すイベントから三次元四次元の旅をリアルでも脳内でも楽しみました。