大谷翔平が異次元アスリートになるかもしれない理由

俺が言い出した話ではなく例によって飲み会で友人が言ってた話を整理しただけです。

その話をはじめにしてからもう半年以上経ってる気がする。

残念ながら来年は打者専念ですが大谷翔平といえばピッチャーとしてもバッターとしても対戦相手から一目置かれる存在になっています。

日本でもそうでしたがアメリカでもそれは変わらなかった。

そうなると今まで誰もなしえなかった経験ができるということになります。

 

投手大谷がマウンドに上がったとき、バッターボックスに入った強打者は何とかして相手を攻略しようと本気で対策を練り、アスリートのとっさの判断を繰り出してくるはずです。

逆に打者大谷がバッターボックスにいるときには、名だたる投手陣捕手陣は本気で押さえ込もうと自分の技術と力と頭脳を駆使してくるはずです。

それがどういうことか。

 

投手大谷は強打者でもある。

強打者としての自分がこの場面で何を考えているか、自分がどのようなとっさの反応を示すかをマウンドの上で想像することができます。

それでも打たれることもあるでしょう。

その瞬間投手大谷だけではなく打者大谷も経験を一つ積むことができます。

 

もっと顕著なのは打者大谷を投手が本気で押さえ込みにかかったときでしょう。

投手大谷が自分にはない発想、自分には投げることができない球で打者大谷として押さえ込まれるという経験は、アウトカウントを稼ぐことができなければ敗北という状況で対戦するバッターボックスに入った投手とは異次元の世界に存在しています。

名だたる投手の本気の投球をバッターボックスの中で体験でき、それを自分がマウンドに立ったときの糧にできるということです。

 

数字を追うだけならどちらか片方に絞った方が当然有利ですが彼はそんな細かいところは目指していなくて投げるのも打つのも超一流になることを目指しているのでしょう。もしかすると彼の思い描いている超一流というのはファンが見る超一流とは全く別の価値観なのかもしれません。

一流のピッチャーとして超一流の打者と向き合うこと、一流のバッターとして超一流の投手と向き合うこと、その両方を経験することでその道は初めて開かれるということなんだろうなぁと思った次第です。

 

とはいえ、ファン目線だと来年どういう数字になるのか楽しみではあります。好不調はあるから過度な期待はしていないですけれどね。