都電荒川線の思い出

都電荒川線に「東京さくらトラム」という愛称がついたのを知ったのは千代田線の車内放送でした。「都電荒川線」と「東京さくらトラム」が別の路線のように聞こえるのはご愛敬です。

半世紀ほど前に都電の線路脇で生まれ、最寄り駅(電停)はもちろん都電。遊びに行くときだけでなく所要をすませるにも都電を使う環境にいました。

子供の頃の都電というのは今でいう都電荒川線のことで、廃止になってるといってもぴんとこなかったです。

町屋のあたりでは今では両側に道路がありますが当時は民家の間を走る私鉄風の風景でした。電車の脇に道路ができた当初は自転車で都電と競争するのが流行りましたね。って誰に同意を求めてるんだ。

俺の知ってる都電が路面電車になるのは熊野前から小台の間と王子駅から飛鳥山まで。

乗ったことはないけれど東急の世田谷線と同じような路線です。

路面区間が少なかったし新幹線ができて本数が増えたりその後上野東京ラインができたり、日暮里舎人ライナーができたりして便利になった尾久エリアでは昔は実質上ほぼ唯一の軌道交通手段だったので、路線が残り「荒川線」という名前にもなったんだろうな。車庫も荒川車庫だし。

ひいばあさんにつれてかれてとげ抜き地蔵に行ったことも、おとり様に行ったことも、受験の交通手段として使ったことも、事務所から現場への移動に使ったことも、今は違うところに住んでいますが脳内の路線図には都電がいつも片隅にあって選択肢として生き続けています。

先ほど書いた尾久エリアの交通事情が変わったこともあり、観光客も呼び込まないと成り立たないとは思いますが、それ以上に地域住民に利用されないと成り立たない、逆に自家用車利用が不便な地域なので地域住民の生活も成り立たない、それが都電ですね。