若者のワクチン接種意欲に驚かされる

正直こんな感じになるとは接種を推進する立場の東京都の担当者としてはうれしい悲鳴ってやつだろうね。

高齢者向けの大手町の会場が想定よりも来る人が少なくてすぐに範囲を広げたりした前例があるから、会場は作ったものの閑古鳥っていうのを何よりも恐れていたんじゃないかと思います。

ほかにもいろいろ驚いたことがあります。

 

 

若者たちは俺たち以上にネット依存が進んでいると思ってました。ネット予約できずに行かないと打てないという条件で会場を開いても関心を持ってもらえないんじゃないかと愚考していたのですが、まさに愚考で高齢者と同じ行動パターンの人がけっこういてびっくりしましたよ。

俺は電話すら掛けたくなくて日付も時間も場所もネットで指定できるという条件で接種できるようになったら打とうと思っていたら、そのチャンスが想定よりも数か月も前にやってきて、しかも別ルートで選択肢が用意されているというちょっと想像できなかった状況でした。

この感じだと若者たちもそういう状況に年内にはなるんじゃないかな。俺は40代50代が年内いけるかなぁと思ってたんでずいぶんと早い。

 

あとはまぁ何度も書いてますが、ワクチンを打つという選択をする人が思っている以上に多いってことですね。

実はリアルでも友人の若者が職域とか基礎疾患持ちとかで俺より早く打っていたりして、そっかぁ打つんだぁと思っていましたけど、もっと打たないっていう選択をする人は多いんじゃないかと世の中の雰囲気的に思ってました。

俺はもう今まで生きてきた期間の方がこれから生きる期間より長い人間なんで、「この先何十年」っていうのはあんまり考えずに判断できたんですけど、この先が長い若者たちはもっと慎重なんじゃないかなぁって思ってました。

もしかするとね、この状況には「デマ」が一役かってるのかもしれません。

推奨派よりでも反対派よりでもデマにあふれてるんです。そのデマのわかりやすさが反対派の方が上だったんじゃないかと。デマがデマであることがわかりやすいってことです。

俺の判定基準では、新型コロナワクチンに関わる言説で何らかの断言をしているものはすべてデマです。「現在わかっているところでは」とかそういう前置きがついてない言説はデマ。これ、ブルーバックスとか科学寄りの本を読むとすごくわかるんですけど、科学的に正しいことを記述しようと努力している著者は語尾を「ようです。」とかぼやかした表現をすることが多いんですよね。すごいなぁと思ったのはノーベル賞も受賞した南部陽一郎氏の著作で、書いた時点では未確認のことはそれがほぼ確実であるという評価を得ていることであっても、実際に実験で確認できれば、という記述を崩さず、逆に実験で確認できていることは断言をしていましたね。科学的な立ち位置で断言をするっていうのは相当の検証が必要なんですよ。

ワクチンが世に出てから1年ちょいで断言できるような何かがあるとは思えないわけでして……。

ところが、世の中には断言する人が多くて、しかもそういう表現の方が受けがいい、と俺は思っていました。そして、そういう言説では、極端な意見の方が正しいか正しいかにかかわらず広まることが多いと思ってました。

しかしどうも今回の若者ワクチン騒動を見るとそうではないような。

反対派のデマの中にはデマであるとわかりやすいのが多いように思えています。そういうデマは広まってはいますけど、おもしろおかしく広まってるだけなんじゃないかと。

そういうデマが流れるってことは実は反対派全体がおかしいんじゃね?っていう意識を持つ人もそこそこいるんじゃないかなぁ。

世の中にはいろいろな人がいて、自分の思い込みをあたかもゆるぎない事実のように語る人もいるし、俺もそうなりがち……、何らかの利益を得るために不確かな情報を確定情報であるかのように装って流す人もいるし、自分の存在を誇示するために極端な意見を表明する人だっています。いろんな人がいます。

今回のワクチン、現時点では打つことにもリスクはあるし、打たないことにももちろんリスクがあると俺は思ってます。そのリスクは両方とも決して0になることはないでしょう。今の時点ではそれを天秤にかけた上で後悔のない判断をすればいいと思っています。それでは済まなくなるのは将来まだ判断が難しい子供にまでワクチン接種範囲が広がった時ですね。親がその判断をしていいのか、国が判断していいのか、その問題は今後議論されるでしょう。

どこかで線引きしなきゃならないので小学生までは親の判断、中学生以上は本人の判断というので行くんじゃないかなぁと思ってますがさてどうなるか……。