2度目の東京オリンピックについて思う事

各方面に喧嘩を売るような内容になりそうな気もするのですが、試合も始まったことだしあえてあまり裏付けを取らずに思いつくままに書いてみます。

 

 

今回のオリンピックを契機としてまたオリンピックというものの在り方は変わるのではないかなと思っています。

若い人は知らないかもしれないんですが、昔のオリンピックはかなり多くの競技で世界最高峰の戦いの舞台ではありませんでした。

今でも野球やサッカーではトッププロが参加してませんよね。テニスやゴルフでも。中には参加を辞退した人もいます。

昔はそういうレベルではなく、プロは参加できない協議会でした。アマチュアのためのアマチュアの世界で最高の選手、国を決める大会、それがオリンピックでした。

だから、当時は社会主義国がかなり強かった。企業ってものが無くてみんな国のために働く人たちと言えないことはないですからね。それがスポーツであってもいいっていう論法です。

 

しかしそれでは、こういういい方しちゃあれだけど「興行」として成り立たないという問題があります。

世界のいろいろな競技を集める以上、その国ではめったにやらないスポーツの競技場を作らなきゃならないです。そのためには当然お金はかかります。

夏の大会はまだましとして、冬の大会は相当大変。日本でいうとそり競技の競技場ってすごく少ない競技人口でその後を支えなければいけなくなるから、結局一度きりのテンポラリーな施設になってしまいがち。恒久的な施設という触れ込みでも維持費管理費を支えきれなくなれば終わり。スキーも絶対的な高低差が必要なのでかなり大変です。

夏のはそこまでのものはないかな。しいて言えば今は人工的な施設でやることが多いカヌーあたりですかね。

 

俺の記憶ではモントリオールオリンピックでそのあとがひどいことになってもうオリンピックの開催に手を上げるところはなくなっちゃうんじゃないかってところまで追いつめられていたはず。

そして、それを変えたのがロサンゼルス。商業主義です。プロへの門戸開放です。

 

この東京大会は、その商業主義というのが崩壊する危険性をはらんでいるということがわかった大会になります。

オリンピックの前の年にこういう形でのパンデミックが起こると誰が想像していたか。想像している人がいたら間違いなくエスパー。

俺が想像していたパンデミックっていうのは、そのイメージは過去事例からじゃなくて小説とかのフィクションから来てますが、身近な人が死んで悲しいとか有名人が死んで悲しいとかいうレベルではなく、人口の半数以上が死ぬような状況でとにかく生き残らなければならないという状況でした。

ところが実際に起こったパンデミックでは、人口比率で言えば罹患した人の数は罹患しなかった人に比べて少なくて、もちろん亡くなった人の数も少ない。

こうなると、生き残ることではなくよりよく生きることをどうしても考えてしまいます。今まで通りに生活したいと思いますよね。

それでいろいろな議論が巻き起こっているわけです。

こういうタイミングで開催されるオリンピックにかなり莫大なスポンサー料を払っている企業は大変だと思います。その投資を回収できません。慈善事業じゃないんだから何らかのリターンは欲しいですから。

 

こういうことがあるとわかってしまうと、今後はお金を出すことに二の足を踏む企業が出てきてもおかしくないです。

そうなるとお金が集まらなくなって、開催してもかなり巨額な赤字を抱えることが必至になるという状況に逆戻りするかもしれないです。

すると、1回目(幻も実際のも含む)の東京オリンピックやアジア各国で開催されたオリンピックのように、国威発揚的に採算度外視で開催するところしか手を上げなくなるかもしれないです。

そういう国はまだ経済基盤はそれほど強くないので、他国から支援を受けるんでしょうけど、今の時代、リターンを見込まない支援はたぶんないわけでして、強国に食い物にされる可能性もあります。

この話、別に特定の国を対象にしているわけじゃないです。食い物にする方の国の中には日本も含まれます。それこそ東京での損を取り返すぞくらいの勢いでやっちゃうかも。

 

俺は今回の東京オリンピック開催には賛成です。野球とかサッカーとか日本でメジャーなスポーツは正直どうでもよくて、4年に1回しか脚光を浴びないような競技をテレビで見てみたいっていうのもあるし、そういう競技を細々と、それこそ本物のアマチュアとしてやってきた人たちに発表の場を与えないのはあまりにも酷だと思っています。

運動会とか修学旅行とかを引き合いに出されてもねぇと内心思うんじゃないかな?

この話はまぁいいか。論破しても意味が無いし。

 

人それぞれ違う意見があると思います。それは当たり前。そこを話し始めてもしょうがない。なので、このオリンピックが終わった後、オリンピックの在り方は変わるのか、変わるとしたらどう変わるのか、どう変えたらいいか、ってのを考えてみると、より建設的で楽しめるのではないかと思っています。