俺の故郷はダンジョンだった 2

せっかくのラノベっぽいタイトルなので2も書いてみる。

tanabeebanat.hatenablog.com

 

 

っていうわけではないのですが、買ってきたせんべいバクバク食べてたら正月期間に切れそうになったので補充しに行きました。

また、先日の記事を書きながら思い出した「スマホを見ながら歩いている人がいない」っていうのが思い違いじゃないのかの確認をし、そのついでにダンジョンのさらに奥深く潜って来ました。

 

結論から言うとやっぱりスマホを見ながら歩いている人はダンジョン内にはいませんでした。分離した歩道があるような広い道にはいるけれどダンジョン内にはいないってことは、うる星やつらの一節じゃないけど「ルールを守らせるには『死にたくない』と思わせるのが一番」ってやつなんだろうと実感しました。

死ぬかどうかはともかく怪我くらいだったら簡単にできます。常にチャンスがある。他の地域ではよく見かける道の真ん中でスマホのナビを見ながら場所を確認するようなことをしている人はさくっと淘汰されるんじゃないかと。

 

ダンジョンを深く潜るにあたって今回は事前にGoogleの航空写真で予習していきました。俺が育ったところに行ってみようと思ったんです。

子供の頃にあったランドマーク的な店はなくなっていたり自分が成長して見え方が変わったり、ぬるい郊外生活にすっかりなじんで感覚が狂ってしまっているのでそうしないと無理だと悟りました。

当時の自宅から駅までの道を逆にたどる、つまり帰宅ルートをたどるというとても簡単なこととしか思えないことをやったのですが、事前に予習をしていたにもかかわらず袋小路にはまりました。1本間違えた。景色も道幅もみんな同じようなもので両側壁だからわからないんですよね。

自宅近くに来て思い出に浸ろうとしたら、唯一無二のランドマークだったものがちょうど撤去されていてしみじみとしてしまいました。俺が子供のころからあったってことは半世紀を過ぎて昭和平成令和の3時代を生きていたってことだろうから耐用年数的にもう無理だったんだろうなぁ。

子供の頃に遊び場にしていた神社に数十年ぶりにお参りしてお賽銭を寄付。

境内ってものすごく広いと思ってたんですが、猫の額ほど。型屋さんがいたあの頃が懐かしい。

 

おそらく一万人中9999人くらいが「生活環境はよくない」と感じるような場所なんですが、俺にとっては故郷、いつかまたあのあたりに住んでみたいなぁとも思うけれど、今みたいに自家用車を持つことなんてできないだろうし、郊外ののほほんとした生活レベルを維持できるとも思えないので現実的には無理なんだろうな。

 

すっかり年を取って俺が子供の頃なら老人扱いされるような年齢になってみて、なんとなく昔を振り返ることも増えてきました。

 

ふるさとは、遠くに有りて思うもの。

 

すごく近くて毎日地下を通ってたけどね。