平成の終わりに

今日で平成が終わります。そしてなにもかわらない令和の時代が始まります。

 

昭和から平成にかけて思春期を過ごし、平成に入ってからすぐに社会に出て働き始めました。

まだこういうコンピュータネットワークは発達していない時代、今にして思えばそれだからこそ起こったおもしろいことがいっぱい起こりました。

今だったら誰かがネットにあげちゃって炎上してたんだろうなぁ。

バブルの恩恵を直接的には受けず、バブル崩壊の衝撃を直接受けました。

阪神大震災の時は出張で日本海側にいて、地下鉄サリン事件の時はたまたま1ヶ月だけの千葉の奥地での仕事をしているという強運に恵まれましたがあの地震は回避することができず人生観が変わるほどの衝撃を受けました。

仕事で初めてインターネットに触れたときのことはまだ忘れられません。そしてWeb上で動くアプリケーションを初めて作ったあの日のことも。

今思えばおもちゃみたいなアプリでしたがこれで世界は変わると確信しその後の人生を踏み誤りました。そして未だに右往左往しています。

しかし、そのおかげでインターネットを使って情報を発信するという機会を自分で作り出すことができ、いろいろな偶然が重なって一時期はそれなりに読んでくれる人の数も多くなったりしました。

それでも、インターネットに触れたとき確信した時代の変革はやってきていません。むしろ逆行しているように思えてなりません。

サーバー側にアプリケーションを準備すればそれだけでよいという利点はスマホという過渡期(と俺は信じている)のデバイスによって打ち砕かれ、誰が言ったかではなく何を言ったかが評価される時代が来るという確信はそれとは逆に誰が言ったかだけが取りざたされ、何を言ったかはすぐに忘れられてしまう時代になってしまいました。

あと何年生きていられるかはわからないですが若い日の俺が夢見てしまった世界は俺が生きている間に実現することはないでしょう。

 

逆に実現したものは社会インフラです。

上述のインターネット環境は想定した以上に整備されました。今の俺だって常時接続の光回線をつないでここに書いています。

道路、鉄道もバブル期に計画されたインフラが実際に稼働をして、中には結果的に無駄だったものもあるし、中には計画を縮小したのが誤りだったものもあるという状態です。それは当然予想されることで、未来を正確に予想することは専門家といえども難しい話。責めることはできないと俺は思っています。

そういえば、すごく狭いところの話ですが、東京郊外千葉県に住む俺の家に下水道が整備されたのも平成の話です。逆に言うとつい最近まで下水道は整備されていなかったということ。いろいろいう人はいますが社会インフラはゆっくりとではありますが着実に整備されています。

 

テレビをつけると平成を振り返るような番組ばかり。それはそれで需要はあるでしょう。俺はあまり興味がないのでこうやってコンピュータの画面に向かっています。

明日からは令和。どんな時代がやってくるのでしょうか?

 

システム屋としては連休明けの5/7を無事に迎えられるかが最大の関心事ではありますが……